新たなる来訪者
やたらと人懐っこいんだけど、トリュは引き気味...。
散々あたしにまとわりついてきたけど、きっと近所で飼われてるコだよねぇ。
また明日会ったら遊ぼうね!
やたらと人懐っこいんだけど、トリュは引き気味...。
散々あたしにまとわりついてきたけど、きっと近所で飼われてるコだよねぇ。
また明日会ったら遊ぼうね!
お金はたくさんあっても困らないと思うけど、そんなになくても困らない。
というくらいのスタンスでいるとちょうどいいのかな、と思う。
去年と今年では平均するとさほど月収が変わってないように思うけど
今年に入ってからお給料日前に「お金がない!」というようなことがなくなった。
具体的な支出の額はほぼ変わっていないし、特に節約をしているわけでもない。
去年と明らかに違うのは、自分が楽しむためのお金を惜しまなくなったこと、
くらいなのだけれど…。
こう言うと「逆じゃないの?」と思われると思うのですが、
実際に去年は月々の支払いやら何やらを優先して欲しいものも買わず、
自分が楽しむためにお金を使うことは控えていたのです。
そのくせいつもお金がない、と思っていたし、事実お給料日前はいつも困っていた。
でも今年に入って支払いの額を減らしたかというとそういうわけでもない。
支払うべきものはきちんと支払った上で欲しいものは買い、
楽しむためのお金も使うようになっただけ。
自分ではそれくらいしか思いつかないのですが、
今月はお給料日1週間前でも懐にやや余裕があるのです。不思議ね。
ふと思ったけれど、お金もひとつのエネルギーだから
自分が楽しみながら心が豊かになるような使い方をしていると
自然と流れ込んできてくれるのかも知れない。
変な見栄や執着に支配されていたり、つまらないと思いながらもつき合いだから、
などという風に不満を抱きながらお金を使っていると
いくらあっても足りないような状況になるのかも。
お金だけじゃなく色々な面で「先ず自分が楽しむ」ということがどれだけ大切か、
ということをひしひしと感じることの多い今日この頃ですが
何気ない会話の中で色々なことを気づかせてくれるみんなに感謝。
これからも一緒に楽しい時間を共有したいな♪
久々の更新です(ま、いつものことだけど)。
先日とあるテレビ番組で、福岡真一さんという生物学者が動的平均
(この単語の意味もよくわからずに聞いてたけど)について語る中で、
地球上の多くの生物の中には自由でいることを主張する分子が存在し、
いつか役に立つようになるかも知れない(という可能性もゼロではない)ので
そういう分子を許容あるいは内包しながら多くの種が世代を繋いでいる、
というような意味合いのことを仰っていた、と思う。
そういえばもう何年も前に何かで聞いたか読んだかした話で
働きアリだか働きバチだかの群れの中で、ほんの数パーセントの何匹かは
まったく働かずに何の役にも立っていないように見える者がいて、
その怠け者(に見える)何匹かを排除すると(これを何度繰り返しても)
今までせっせと働いていた者たちの中から働かなくなる者がでてきて、
群れの中での両者のパーセンテージはキープされる、
というような内容のことを思い出した。
ところで先日ふとしたことから「あたしの役割って何なのか」などと
考え込んでしまい、わけもわからず落ち込みかけたけれど
「あたしって自由を主張する分子なんだな」って思ったら
妙に納得してかなり気がラクになった。
普段はひたすら自分軸で動いているけれど
周囲とのズレみたいなものに気づいたりする瞬間があって
そういう時は変に不安になったりすることもある。
ここまで書いて思い出したけれど、以前知人に頼まれて
お手伝いに行っていたとある飲食店でミスった時に経営者から
「まったく何の役にも立たないわね」と罵られたことがあった。
ミスったのは事実だけれど、誰かに損失を与えたわけでもなかったし
何の役にも立たないなら、役に立つ人を雇ってくださいと
即座に辞めて行かなくなったら翌日「あなたがいないと困るのよ」と
手のひらを返すようなことを言ってきたけれど、どういう神経なのだろう。
まぁでもそんなことを言われたおかげで、社会で役に立ちたい、というよりは
役に立つと言われたい、思われたい、という気持ちが強くなったのも事実だと思う。
普段から仕事大好きだと思っているけれど、それはあの日負った心の傷を
どうにかして消し去りたいという思いの表れであって、
そんなに純粋な気持ちでもないのかもね。
ともあれ、仕事大好きでもほどほどのところで自由を求める遺伝子が働くためか
会社を出た途端に仕事のことは一切考えないという切替は上手くできていると思う。
ここからはいつもながらの独自の解釈になってしまうけれど
誰かの目には何の役に立っていないように見えても
きっと何かしらの役には立っているのだろうし、
それが誰からも評価されなくても気にすることはないのではないかしら。
自分に正直に生きていれば、きっとそれだけで十分に価値はある、と思うのです。
だからこれからもあたしは、人にどう思われても気にせずに
自由な分子でい続けようと思います。
もちろん、だから隅っこの方にちんまりしてるんでいいからね。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
そういえば1月の半ばに母が足首を骨折し、同じ週に兄がバイク事故に遭うなど
予期せぬことが次々と起こったこともあり、写真展は延期となりました。
春になってから、ということになっているのですが、もう春は目前ですね。
詳細が決まり次第またお知らせいたします。
ちなみに母も兄もだいぶ回復していて今はもう心配ない状態です!
たまにはこんなオトナなデートもいいよね。
今は相手がいないけど。
オトナなデートを次にするのはいつになるのかしら...。
guhaのakiちゃんが、過去の恋人との思い出をフォルダ保存する人と
上書きする人といるって話をしていて、
たしかフォルダ保存の人は美化した思い出に浸りやすい傾向がある
って話だったと思うけど、
あたしの場合は上書きというよりも一旦初期化しちゃう気がする。
つい最近も、あたしの元カレについてそのことを知っている人から
まったく忘れていたことについて聞かれて、
その人が覚えていたことに驚いたくらい忘れることに成功している。
まぁ初期化はしても水面下には完全に消去されていない記憶の断片が
存在するから、その時みたいに、言われれば思い出すこともあるのだけど。
過去の恋人のことだけでなく、短い間でも親交があった人とのやりとりを
すっぱり忘れてしまっていることがかなりあって、
そういう人たちからはものすごく薄情だと思われているんだけど
それはあたしにとっては不要な記憶ってことなんだろうと思う。
でもまぁ、薄情と思われても仕方がないよね。
自分にとって本当に必要なことはちゃんと心に残るはずだと思っているので
メールとかのデータも不要と感じたらどんどん削除しちゃう。
そのせいかどうかはわからないけど、仕事でいちばん好きなのは
不要になった書類をシュレッダーにかけている時。オホホ。
過去の恋人とのこと、色々忘れてしまうくせに
先日も書いた通り、色々あったけど今年はわたしにとってとてもよい年でした。
このまま順調に来年も更によい年になるように、と思っていた矢先のこと、
来年早々、勤務先が変わることになりました。
日頃から感じてはいたことですが、不景気や円高の煽りを受けて
わたしもリストラの対象になったのです。
が、それだけで話は終わらず、結果的にわたしにとっては望ましい展開。
簡単にいうと、別の場所で委託という形で今までの仕事を続け、
更にわたしのやる気に応じて新たに別の仕事も増やしていただけるという
なんともありがたいお話。
勤務地が遠くなるので朝はより早く、帰りも遅くなるのですが
むしろ念願のひとり暮らしをするのにいいチャンスだと思い
この話を受けることにしました。迷うことなく。
もちろん、すぐにひとり暮らしを始めるわけではないのですが、
新たな環境と仕事に慣れて落ち着いてきたらそうすることになると思います。
まぁ、ひとり暮らし=トリュと離れることになるわけで
そこはかなり断腸の思いをすることになりそうですが。
でも人生に別れはつきもの。
会いたくなればすぐに遊びに来れるくらいの距離で新居を見つければ
それほど嘆かずにいられるだろうし。
そんなこんなで慌ただしい12月になりそうですが、そんな時だからこそ
気持ちがブレないように、努めて穏やかな時間を持ちたいと思います。
みなさまもどうぞ、心穏やかな日々をお過ごしくださいませ。
なんてことない1枚だけれど、
わたしにとってはこの夏の記憶がギュッと詰まっている1枚です。
(そういえば夏の旅に関してはまだまだ書けてないなぁ...)
気がつけば今年も残すところあと1ヶ月とちょっと。
1年を振り返るにはちょっぴり早いかも知れないけれど、
わたしの2011年は、結果的に浄化と変化の年となったように思います。
特に意識してそうなったのではないのだろうけど
不要なものと決別をしたことで新しいチャンスや環境と巡り会えたし、
新しい、そして心地よい人間関係が築けつつあるみたい。
でも、本当の意味での変化は周囲だけではなく、
自分の内側でも起こっているのでした。
まぁ、例を挙げればキリがないけれど、
自分の好きなこと、楽しいことに対して以前よりも
もっともっと積極的になれたってことは自分だけじゃなくて
周囲にとってもよい変化だったのではないかしら。
それから、自分や他の誰かをジャッジしない、ということを覚えました。
これは、先日、近くのヨガ教室Space Beで交流会が行われた
日木流奈くんの書いた本を読んでいて、
流奈くんの言葉が素直に自分の心に入って来て、自分のいいところも
ダメなところも受け入れられるようになったからだと思います。
そしたら失敗してもクヨクヨしなくなった。
陽は沈んでも、必ずまた上る。
そしてその陽射しは、誰にも平等に、もたらされるんだよね。
で、自分を受け入れられるようになったら、自分以外の誰かに対しても
以前より寛容に受け止められ(或いは受け流せ)るようになったみたい。
その本を手に取るキッカケをくれたcafe guhaのみんなにも感謝。
そして今日ここには書かなかった、わたしの大切な友人や家族にも感謝。
もちろんトリュやチロ、他の和ませてくれるすべての存在にも!
感謝の気持ちを持って今年を締めくくれたら、
来年はまたあちこち旅したり、楽しいことをたくさんつないでいい年にしたい。
そしてそれを実現可能にしてくれる職場にも感謝です。
みんな、どうもありがとう!
先週からの宿題だったリネンレースの淡水パールチョーカー、ようやくできました。
リボンがもうちょっと長かったらよかったかな、と思わなくはないけど
短く結んだり、長めに結んで胸元までたらしたり、
あるいはまとめ髪のアクセントにも使えそう。
このリメイクは我ながらいいアイデアでした。
家の中にはもっともっと、リメイクできそうなアイテムがあるので
これからもヒマを見つけては眠ったままのアクセサリーを
生まれ変わらせてあげようと思います。
もちろん、リメイクじゃなくてもいいのだけれど。
売ってるものより自分で作る方が愛着も湧くし、
それに何より他にはない、世界にひとつだけ、という
オリジナルな感じがちょっとうれしい気分にさせてくれます。
そういえば、最近めっきりカメラやその周辺に対する
物欲や執着が薄れてきたように思います。
興味がなくなった、というのではないけれど
ポラフィルムとか、手に入らなくなってゆくものに対しても
以前のような執着心がなくなりました。
今あるのがなくなったら、もうそれでいいかな、などと思えている不思議。
もしかした、小さなものでも実際にモノ作りをしているから
今まで消費する方にいっていた欲望が徐々にシフトしていっているのかも。
これからの季節は段々部屋で過ごす時間が増えそうですが、
モノ作りの材料さえあれば楽しく過ごせそうな気がします。
土曜は掃除とプチ模様替えで明け暮れ、
日曜の今日はもう何年もアイデアだけが宙ぶらりんになったまま
実行に移せないでいた淡水パールのチョーカーのリメイク。
金属アレルギーなのでチョーカーの金具で肌が荒れてしまうため
安心できる素材を使ってリメイクしたいなぁ、と思っていたのだけれど
具体的なデザインが思い浮かばぬまま月日が経ち、ほとんど忘れていました。
が、掃除や整理をしている間にそのチョーカーが出てきたので
今手元にある素材でできないかなぁ、と探したところ
ちょっと前に買ったリネンレースのリボンやテグスもありました。
元々のチョーカーのパールを繋いでいた糸をプチプチ切って
お米みたいに小さい粒の淡水パールをテグスに再び通してゆく内に
ふと、この中の何粒かでお揃いのピアスでも作ろうかと思い立ちました。
でもピアスのパーツを買いに行くのが面倒だったため急遽指輪に。
革を縫うためのロウ引きされた太い糸を依って指輪の台を作って
そこにテグスでパールの粒をくっつけただけだからオモチャみたい。
しかも思い描いていた形とはかけ離れたヘンテコなものになったしまったけれど
どこにも売っていない自分だけの指輪が完成しました。
指輪なんてもう何年もしていなかったけれど、たまには着けてみようっと。
リネンレースのリボンは水で洗ってのりをとったら
ちょっぴりアンティークっぽい風合いが出て気に入りました。
でもまだ乾いてないから、チョーカーを作るのは来週かな。
それにしても思いついたものを自分で作ってゆくって
それだけでなんだかとっても楽しいものですね♪
車だと15分くらいの距離ですが、車を持っていない(し、運転もできない)ので
遠足気分で電車とバスを乗り継いでトコトコと。
JR高尾駅からバスで15分くらいだったかな?
恩方車庫というバス停で降りてそこから数分歩いた
静かな一画にグルヌイユさんはあります。
お店の方たちとはヨガつながりで顔見知りなので
パンを選ぶのも忘れてしばらくおしゃべりをして過ごしました。
それにしてもこのパンの数々、どれも美味しそうじゃありませんか。
欲張ってあれもこれもと買って帰ったけれど
みっちりと生地のつまったほんのり酸味のあるリッチな味わいの田舎パンは
そのままでもバターやクリームチーズをつけても美味しい!
スコーンはお茶の時にちょうどぴったりだしベーグルは朝食に合う。
こんな美味しいパンを毎日食べられたらどんなに幸せだろう!
まぁ、毎日は無理でも近い内にまた食べたいと思います。
ネットで注文もできるそうなのでパン好きな方はぜひ一度食べてみて下さい。
先日も書きましたが、ヨガ教室で行われたアーユルヴェーダで
通訳のお手伝いをした時に、少しですが謝礼をいただきました。
謝礼などまったく期待していなかったのですが
曲がりなりにも"通訳"をしていただいた(もちろん初めての)お金です。
それに、それはみんなががんばってみんなに行き渡るようにと
集められて分けられたお金だったから、
わたしにとっては金額よりもずっとずっと大きな意味のあるお金でした。
だから、なんだかもったいなくて使えない、ずっと使わずにとっておこう、
と思い、封筒に入れたまま戸棚の片隅に入れておいたのです。
でも数日後、いやいや、これはやはり有意義に使わせてもらってこそ
このお金の意味が広がるというものだ、と思い直し
ここはやはり東北復興支援の義援金として寄付するのがいい、
とは思ったものの、ただお金を送るだけではなくて
何かを買ったりしてその代金が義援金となるよい方法がきっとある!
と思ってそのチャンスが来るのを密かに待っておりました。
そして昨日、ひょんなことがキッカケでポラロイドフィルムを譲ってもらって
その代金が全額義援金として寄付されるというある企画?を知ったのですが
店頭に出向くことが条件ということだったので
ちょっとというかけっこう遠いところまで電車を乗り継いで駆けつけたところ
無事に数本のフィルムを分けていただけることになりました。
わたしはフィルムが手に入ってハッピーなだけでなく
大切なお金を有意義に使えたこともハッピー。
そしてそのお金を渡してくれた(ことに携わった)みんなもハッピー。
お金が届けられる先(とその行程に関わる)の方たちもハッピー。
そうそう、この情報をもたらしてくれた方もきっとハッピーになってくれるでしょう。
それに撮影をしたらわたしはもっともっとハッピー。
更にその写真を見てくれた人も
ちょっとでもハッピーになってくれたらどんなに素敵かしら。
いただいた謝礼に自分の気持ちとして幾らか足した数千円で
こんなにもハッピーが膨らむなんて、
(もしかしたらただの自己満足かもかも知れないけれど)
やっぱりとっても素敵なことだと思います。
この流れの中に関わったすべての方に感謝。
おっと、言い忘れましたが写真はそのヨガ教室にある
子どもたちが描いた絵がなんとも魅力的なツリーハウスです。
近い内にここでお茶なぞ飲みたいものです。